僕は今日も生きている

ぼんやりと感じたことを綴ります

バカだと思われたくないという気持ち

バカだと思われないように必死で仕事を頑張っている。

 

この4月からグループ内の他企業に異動した。僕のことを評価してくださった方が引っ張ってくれたし、社長とも元々面識があり僕のことを「人当たりの良いやつ」と思ってくれている。だから非常に気が楽だ。それでも多少は神経を使う。バカだと思われるのがとにかく恐い。

 

新しい職場ではとにかくExcelをよく使う。給与計算などがシステム化されておらず、それを頑張ってExcelで集計しているのだ。僕はこれまでこの手の業務に携わったことがないのでVLOOKUP関数やピボットテーブルなど、基礎的な機能さえ自在に使いこなすことが出来ない。少し情けないような恥ずかしいような気分になる。

 

どうして僕らはバカだと思われたくないのだろうか?やはり知性が「年収≒生きる力」に直結すると感じているからだろう。力はあった方が絶対にカッコイイ。特に僕は世の中の平均的な人間よりも知性を重視する。それだけにバカだと思われるのは恐い。

 

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最近個人主催で読書会というのを開いている。数人で集まって好きな本をお互いに紹介し合うだけのお気楽な会だ。自分の好きな本を語るのは楽しいし、人のお薦めを聞くのも参考になる。紹介する本のジャンルは何でもOKで、純文学を持ってくる人もいればマンガを熱く語る方もいる。出来るだけ多くの方に参加してもらえるお気楽な会にしていきたい。

 

その読書会のことで、会社の同僚女性が僕に話しかけてきた。「ボクイキ君、最近面白そうな会をやってるよね。私も国文科だったし本が好きなの。太宰治が特に好きで。」ニコニコしながら語る彼女に僕はウキウキした。周囲は「○○さんがそんな事を言っているとなんだか頭が良さそうに見える(笑)」などという反応だった。そしてその反応が彼女をまた喜ばせた。

 

僕は読書会に彼女を誘ってみたが、途端に彼女の表情が曇った。何という言葉を使ったのかは覚えていないけれども、しどろもどろになりながら断られた。恐らく彼女はバカだと思われるのが恐いのでは、と密かに感じていた。

 

読書会というと如何にも頭の良さそうな人の集まる場所だと彼女はきっと思い込んでいるのだろう。ではなぜそう思い込んだのか?それは僕がそういう雰囲気を出してしまったからだと思う。彼女のような層がたくさん参加してくれたら僕にとって読書会は成功に近づいていると言える。

 

僕もまだまだだなあ。