僕は今日も生きている

ぼんやりと感じたことを綴ります

健全な自己愛

どうしようもないコンプレックスがあった。僕はいわゆる非正規雇用だった。だけど単なる非正規雇用ではない。もっと面倒な事情があった。匿名ブログだけど、ほとんど自分以外に読む人などいないブログだけど、それでも詳しいことは書きたくない。下らない見栄かもしれないけど。

それが今年の4月にようやく解消した。10年近く仕事から離れて戻ってきて、それから3年半。予想以上に早い正社員復帰だった。元々の目標は5年だった。それでも自分に相当高い目標を課しているとも感じていた。正社員から一旦非正規に落ちたら上がることは途方もない困難に感じられた。

この3年半、僕は頑張った。人生で一番頑張ったのではないだろうか。人には説明しにくい屈辱や絶望に苛まれながら、それでも出来ることをやり続けた。読書好きだが最初の一年は小説などの文芸作品は一冊も読まなかった。仕事に関連する技術書をひたすら読みあさり、好きでもない機械をいじりまわす日々が延々と続いた。社内でなかなか評価されず上司を恨んだこともあった。もっと自分の仕事ぶりを見て欲しいと、見た上で能力を評価してもらいたいと。

給与の値上げ交渉もしたがニベもない返事だった。元々「お試し価格」で自分を安売りして入った会社なのだが、認められれば値段は上がっていくものだと思っていた。けれども実際は「安かろう、悪かろう」という扱い。いよいよ外に出るしか無いことを悟った。

随分嫌な思いもしたが、転職活動をして1社だけ内定を得た。これで年収は倍に上がる。自分でも少し驚いたが、よくよく考えれば当たり前のような気もした。それほどどうしようもなく安い給料で働いていたのだ。ともかく転職したい旨を伝えて会社をやめようとしたところ引き止めにあった。グループ内他社で働かないかと。コロリと態度が変わったので呆気にとられた部分もあったが、そのオファーを受け入れることにした。オファーを出したのが常々僕を評価して下さる方だと聞いたからだ。思いがけない僥倖に感謝した。捨てる神あれば拾う神あり、そういうことだ。

僕は思う、僕は僕で良かったと。本当に僕が僕でよかった。上司から否定され続けてもこんなに努力できるやつは余りいないよ。僕は1万人に1人の努力家でもなければ千人に1人の努力家でもない。けれども少なくともこんなに頑張れるやつは多数派じゃあない。自分を否定せずによく頑張った、そんな自分を偉いと思うしカワイイやつだと思う。幸せを感じている自分という存在に感謝したい。

一方で思う、理不尽な扱いはもう嫌だ。辛い思いはもうしたくない。正社員に復帰はしたけれど、完全には傷は癒えていない。けれどもそれくらいで丁度良いのかも。ちょっとくらい現在進行形で痛みを抱えている方が人にも自分にも優しくなれるような気がする。